豊商会の歴史

豊商会の歴史SINCE1924 … そして未来へ

第4章 リスペクト&イノベーション(2005~)後藤元信の時代

時代の変化へ対応

2005年、後藤秀一取締役会長逝去により、後藤ヨシ子が会長に、後藤元信が社長に就任した。時代は平成不況の真っただ中にあり、2001年のアメリカ同時多発テロを発端に、イラク戦争の勃発、世界的な株価下落、金融不安などの不安材料に加え、東日本大震災を経て日本の経済低迷が続く。後藤ヨシ子会長は、横浜商工会議所議員として地域貢献を含めた社外活動にも長年注力してきた結果、2006年に横浜商工会議所副会頭に推され就任、2期6年間の在任期間中は横浜の発展に対して広い分野で真摯にその責務を果たした。社業はもちろん、企業として求められる社会的責任と社会への貢献を視野に、2008年、環境パフォーマンスの向上・順守義務を満たすこと・環境目標の達成を課した「ISO14001承認」を取得する。その結果、ユーザーの利益確保、安全性、環境性も担保され、企業としての信用度のアップが大きくもたらされた。見える形での企業コンプライアンス整備も順次進んだ時代である。

直営サービスステーション

SSのガソリン販売は、国の指針による石油元売各社の販売方針等の変化が、当社のみでなく業界全体に影響を及ぼした。この時期の約10年間で、SSの店舗数は全国では半数に減少した。また、神奈川県下では1994年の2,031店舗をピークとして、2018年には849店舗という数値が示すとおり、半数以下という大幅な減少と同時に大型店化に繋がっていった。特に当社の歴史ある創業当時のSSは敷地面積が狭く、時代の要請に応じたサービスルーム、大型洗車機、車両整備施設等々の充実がドライブウェイを狭めてしまうことになった結果、危険を伴うため止むを得ず閉鎖という辛い選択があった。SSの減少要因は、かつて国道1号線に面した現在の本社所在地高島町SSの閉鎖が示すように、幹線道路の新規開通など、時代によって変化する立地環境に左右されることも大きかった。
対象SSの順次閉鎖が行われた一方で、確実に販売が見込める立地として、サンリッチ瀬谷中央・サンリッチ磯子・サンリッチ子安を新たに開設する。直営SS店舗数が最大時期の22拠点から、大型で機能の充実したサービスステーションとして、安全・安心に重点を置いたSSへと順次統合していった。リーマンショックが発生した2008年には、厳しい経済環境ながら、サンリッチ日向山を除く全てのフルサービスSSからセルフサービスSSへの転換を完了する。中華街に隣接する当時サンリッチ山下において、取締役SS部長の塩入敏晴は、マネージャーを指導する立場でセルフサービス導入に初挑戦する。「スタッフはドライブウェイには出ない」と言う元売会社の指導の下、販売方法の大きな転換期であった。スタッフの姿を目にすることなくSS構内を一巡して去るお客様を、スタッフルームの監視モニター前から息を潜めて見送らざるを得ない日が続く。試行錯誤を繰り返し到達したのは、お客様に給油ノズル操作をお願いする以外、お客様とのコミュニケーションなど仕事の基本は従前のフルサービスと違わないということだった。その理解の上で再びドライブウェイに立ち戻ることが出来たことが、その後の当社受け入れサービスにおける接客姿勢の基本となり、経験の効果は大きかったと語る。きめ細かな顧客サービスや社員教育に力を入れ、販売数量が最多SS当時を維持していることは特筆すべき点である。

直売部門

一時代に「黒もの(重油)のユタカ」と言われるほど当社の屋台骨を担っていた直売部門については、取引先の工場や大手企業等がエネルギー源を重油や軽油に替えて電力から得る方向に急速に移行し、その販売量が劇的に減少したのは当然の成り行きであろう。近年では時代の要請に合わせ、緊急時の備えとしての重要性が目される「非常用発電機への燃料供給」事業において、東日本一帯に販路を拡大し、延べ1,000カ所余に実績が及んでいる。一方「運送会社の自家用給油施設への軽油供給」並びに「横浜市行政施設への燃料供給」等は変わらない需要があり、SSのリットル単位とは異なり、キロリットル単位での納入実績を堅持している。また、神奈川県石油業協同組合とは、優先契約の対象企業として堅実な需要も存在する。石油製品販売の環境に変化があっても、当社の長い歴史の中で培われた取引先との信頼関係は、石油以外の当社事業展開にも好循環が生まれ、新たな需要拡大にも繋がっている。

販売店、灯油店部門

卸部門の一つである販売店と灯油店は、全国的なSS数の減少と連動し、併せて世代交代における選択により減少していったのは、これも時代の趨勢であろう。この販売店と灯油店を取り纏める組織として「豊栄日石会」が存在し、当社と歩みを共にする1~2店舗を運営するSS経営者の親睦の場であった。店舗数の減少によりこの会は消滅に至ったが、現時点でも存続する店舗とは良好な互恵関係を維持している。直売部門と販売店灯油店部門を永きにわたり担当してきた井上義勝も、当社の基盤であるユーザーとの盤石の信頼関係に全ての場面で助けられて仕事ができ、顧客からの並々ならぬ信頼を日々実感しながら仕事ができて幸せだったと語る。

2011年東日本大震災

2011年3月11日午後2時46分、日本中はおろか世界中を震撼させた東日本大震災が発生した。震源の福島沖から250キロ以上離れているにもかかわらず、横浜駅西口では地盤の液状化も発生した。本社に勤務中の社員は、みなとみらい21地区に建設中だった高層ビル建設現場のクレーンが大きくしなりながら揺れる様子を、恐怖感を抱きながら目撃している。当社は燃料供給に支障が出ると予想し、救急車やパトカー、消防車などの緊急車両への最優先対応を社内に指示し、「基本的な販売姿勢は、タンクが底をつくまで給油」という後藤元信社長の決断が即座になされた。地震直後には元売会社(当時のJX日鉱日石エネルギー(株))の根岸製油所で全装置が緊急運転停止となり、引き続いて各地で道路網の寸断、物流の停止等も発生、東北地方から関東地方にかけてSSの地下タンクが次々に枯渇した。
震災10日後、3月21日に根岸製油所が稼働を再開し、当社へも同日に全SSへガソリン、軽油の配送が始まった。製油所稼働が開始するも、東北地方の復旧に全国からタンクローリーが集められたため車両が不足し、平常時とは異なる配送状況だった。また、福島第一原子力発電所の被災による電力不足が要因で、東京電力エリア内では大規模な計画停電が実施され、SSの一時的な閉店も余儀なく、綱渡り的な地下タンクへの充填、販売となった。これらの危機管理対応は「安定供給」を標榜していた当社が、死力を尽くして迅速に対応できたことに繋がり、その後の当社への信頼に大きく寄与している。3月21日のSS給油状況、社員配置ローテーション表にその緊迫感が伝わってくる。当時SS総括であった塩入敏晴取締役も、「緊張と危機感の中、未曾有の事態を乗りきったという達成感を、社員と共に得られたことは大きい。震災時、SSの耐震、耐火への安全性が再確認されたが、今後予想される首都直下、南海トラフなど巨大地震に備え、改めて安定供給のための経験として生かしたいと」と語る。 現場が通常の業務に回復したのは、発生から20日後、根岸製油所稼働開始から10日後のことだった。

変わる社風

2013年12月、両輪として機能していた後藤ヨシ子会長の病没を受けて、更に社業に邁進していくことになる後藤元信社長は、横浜青年会議所の理事長、日本青年会議所の役員を務めた経験もあるリーダーである。横浜の地域経済界に既に基盤を築いていたことから、世代交代の進む横浜経済界との交流も順調に推移した。社内においても自ら率先して社員に融合する姿勢や年代による感性が近いことも伴い、事業継承はスムーズに展開していった。「経営とは、頭で考えることではなく、身体で覚えること。学問 論理でもなく、経験が自信を育て知恵を生む。観念でなく、現実であり、実戦である。」との信条で社長が率先して動くことは、社員が日常、頻繁に目にするところである。趣味のトライアスロンで鍛えたフットワークで、社員と共に汗を流す姿は、歴代社長とはひと味違った社員との一体感を生じさせている。社是のほかに新たに社訓「自分のため、会社のため、社会のために働きます」を制定し、節目に社員は唱和して、働くための原点を確認し合っている。ホームページも社員参加型とし、社外、社内双方の情報開示に生かされている。

「家庭用電気」「業務用低圧電気」「業務用高圧電気」「都市ガス」の販売 

2018年、新たな取り組みとして電気と都市ガスの販売がスタートした。法改正により、2016年4月の電力の小売完全自由化、2017年4月の都市ガスの小売全面自由化が行われたことに伴い、ENEOS(株)が主導する電気等を、一般家庭や企業に販売するものである。加えてENEOS(株)と業務用高圧電気販売の代理店契約を新たに締結し、同販売に関し、当社顧客の経費節減にも一役、順調に契約数の伸張をみる。

環境事業

廃棄物収集運搬を担う環境部門については、神奈川県外の廃棄物処理依頼が見込まれたことから、2012年8月「東京都産業廃棄物収集運搬業」許可、2013年2月「埼玉県産業廃棄物収集運搬業」許可を取得した。また、関連事業組合に加入したことから「鎌倉市環境部」への門戸が開かれ、2014年4月「鎌倉市一般廃棄物収集運搬業」の許可を取得、鎌倉市内の家庭ゴミ収集運搬を開始する。月間7コースの収集から始まったが、順次拡大し、2022年6月時点では月間33コース延べ67台と10倍の伸張を見る。
横浜市では廃棄物処理の行政担当部局が「環境事業局」から「資源循環局」への名称変更が行われた。同変更が示すとおり、地球環境という大きな視点での対応が求められる時代になったことで、当社も廃棄物の「運搬業」から脱し、地球環境の将来に必須となる資源の有効活用に不可欠な分野に歩を進める決断をする。様々な候補地を検討したが決定に至らず、最終的に横浜市泉区のサンリッチ日向山SSを候補地とした。同所は市街化調整区域である上、道路を挟んだ対面の区域には、かつての本社跡地に建つライオンズマンション相鉄いずみ野があり、一般住宅、商業区域も展開する土地で、廃棄物保管施設の新設は一般的に理解が得られることは厳しいエリアである。行政の許諾は勿論、地元自治会などとの地道な信頼関係構築に2年半という時間をかけ、理解を得て建設、2022年5月に正式に許可を取得した。現在稼働が軌道に乗っている当産業廃棄物積替保管施設は、「汚いと言われるゴミをいかにスタイリッシュに処理するか」に拘わる後藤元信社長の意思の具現化のように見える。
部門を預かる取締役直販部長木下悦男は、「仕事の基本は『石油』と同じ、懸案だった同業者組合にも加入し、大手を振って社長の目指す『王道のゴミ屋』となるべき意識も生まれている」と語る。因みに、「横浜市一般廃棄物収集運搬業協同組合」「鎌倉市廃棄物資源協同組合」「藤沢市一般廃棄物資源循環事業協同組合」「全日本一般廃棄物収集運搬協同組合(環境省許可組合)」にも加入する。各組合に積極的に参画することで、「石油」部門への新規顧客開拓の成果も現れている。二本柱事業の壁を、社長はじめ社員が見える形で往来することで、両部門従業員の生む一体感も当然のように醸成されている。

コロナ禍での対応

2020年1月、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が爾後約2年半にわたる世界的規模での猛威を振るい、2022年10月時点で感染者6.23億人、死亡者656万人という惨事になった。我が国では、医療機関は勿論、観光業・飲食業・交通業等は混乱し、影響を受けた業種は多方面にわたり経済は低迷した。感染が蔓延する中、当社は政府の指針による感染対策を各部門とも徹底した。石油部門と環境部門の二本柱事業は日常生活に必要不可欠な仕事であり、エッセンシャルワーカーに近い認識であった。 世の中でリモートワークが進もうと、社員はいつも通り毎日出社した。この間の売上は、パンデミックの混乱初期に僅かな落ち込みはあったものの、以前の数字を伸張する。

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